下書き うつ病勉強会#117 反応性・心因性・神経症性うつ病-1

実際、最初は内因性うつ病と考えられ、内因性うつ病としてふさわしい治療経過をたどっていた人に、途中から、神経症性うつ病の成分が混入するのである。それによって治療経過に変化が生じる。

反応性うつ病ということがあって、これは心因性うつ病や神経症性うつ病と同じ意味だ。この反対の言葉は内因性うつ病ということになっていた。最近ではDSMで心因性とか内因性とか、確かな証拠もなく、原因について言及するのはどうかとのことで、精神分析的な色彩の濃い反応性・心因性・神経症性は廃止になった。同時に、ドイツ観念論的な内因性うつ病も、そんなことを仮定していい証拠はないとして、隠居を命じられた。神経症のように無視されたわけではなくて、メランコリーという言葉で残っている。

昔は、憂うつな気分になる人がいることは確かなので、原因はわからないながらも、憂うつ症という意味で、ギリシャなどでメランコリーという言葉を使っていた。日本では憂うつを特に指定する古い言葉はなかったと思う。仏教とか、出家するとかには、本来は、こうした憂うつな考えが基本にあると思うが、その後仏教は独自のガラパゴス的発展を遂げて、特段憂うつが基本というものでもなくなっていると思う。ガラパゴス的と言ったが、それは日本だけではなく、朝鮮半島でも、中国でも、タイとかそのあたりでも、独自の変化を遂げているので、思想史的には面白い題材であると思う。土着の習慣や気質とどう折り合いをつけてなじんでゆくのか、興味深い。

源氏物語のもののあはれという観念も、どちらかと言えば、憂うつを含んでいると思うがどうだろうか。秀吉みたいな感じは日本的感性の本流ではないと考えられていると思う。

しかしやはり憂うつだという人はいて、周囲の人も、『そういう状況ならば、憂うつも納得できる』というものから、『その出来事があったのは分かったが、それでそんなにも憂うつというのは納得できない』というものまで、様々あったものだろうと思う。『その気持ちはわかる、人間はみんなそうだよ』とか『まあ、そうだろうな、無理もない』『甘えてないでしっかりしてくれ』とか、『おおげさだな、理解できない』とか『この人がそんなになるとは、了解できないな』とか感じるものもあったはずである。

心因性・反応性・神経症性という言葉を考えるときには、精神疾患ではなく身体疾患をまず考えてもらった方が分かりやすいと思う。どこかが痛いというとき、一通り身体的に調べても原因が見つからないとき、心因性ではないかと考えたりもする。昔は日本にあんなに多かった胃炎が今は少ないのはどうしてだろう。流行があるとして、その場合は、心因性のものが考えやすい。

身体疾患の中でも、神経内科的疾患は神経症の分かりやすい例である。身体的原因がないのに、半身不随とか片麻痺とか失声とか、いろいろ起こる。神経学の知識がない人でも、神経学の原則に沿った症状を呈するので、専門医でも診断しきれず、除外診断として言えるが、積極的に心因性であるとは言えないことがある。

たとえば戦争神経症というものがあり、戦争に行って死ぬ思いをするまたは実際に死ぬよりは、いっそのこと病気になって兵役免除にならないかと思っていると、突然足が動かなくなったり、声が出なくなったりする。都合のいいことが起こるものだと周囲は思うが、本当の病気なのか、願望が作り出した病気なのか、区別がつかない。この場合、専門家が鑑別できることもある。しかしできないこともある。できない場合も、積極的に戦争神経症と決定する根拠もない。ただ、病気になる前から、どのような性格で、どのような考え、行動をしていたかは参考になる。戦争神経症の専門病院が国府台陸軍病院だった。

兵役検査はなかなか困難で、間違いのない客観的な判断をしないといけないということでいろいろ工夫されて、その経験がその後の精神科のいろいろな診断基準につながったという昔話は聞いたことがある。

そのような常識的な推論で、まあ、これは身体疾患ではなく、心因性だろうなと推定できるものもある。そのような常識的推論はできない場合も、フロイト的に深層心理学的に考えて、心因だと推定できるものもある。それは確かに見事なものなのだけれども、それですべてが理解できるわけでもなく、1900年当時から、時間が経過するにつれて、フロイトの深層心理学にも多くの疑問が生じた。フロイト的に治療して治ったんだから、本当だという人がいても、それではフロイト的治療の何が治療要因だったかを吟味すると、なかなか怪しいことも分かってきた。

特にフロイトがどうということでもなくて、日本で例えれば、丸山ワクチンでも、その周辺のものの多くがそうだが、カリスマ的人物が時流に乗って大声で叫んでいると、それに呼応して、いろんなことが起こる。そういうのは、一応、カッコに入れておこうというDSMの(表向きの)方針も理解できる。

しかしながら、心因性の病気はやはり厳然としてあると思う。説明が難しいが。神経学の知識のないはずの人がどうして、神経学の原則通りの症状を呈して、専門医も鑑別できないほどの事態になるのか、本当に不思議としか言いようがない。

それが心因性・反応性・神経症性の病気である。ここで少し立ち止まると、身体因性とか内因性とか言葉に対応する言葉として、心因性・反応性・神経症性とか一括して挙げているが、勿論、違いはある。心因性疾患というのは、人間の心の表層かまたは深層で、からくりがあって、心が原因で起こる、身体病と紛らわしい病気である。反応性というのは、エピソードに反応してという意味で、エピソードがなかったら起こらないはずのものだろう。この場合、エピソードに反応しているのは性格である。従って、場面によっては性格因性ともいえるし、環境因性とか状況因性とかいってもいい。神経症性というのは精神病性と対になる言葉と一般に言われると思うが、それはそうなのだけれども、四肢麻痺の例を考えても分かるように、神経症性と身体因性が対になるとも考えられる。

神経症性と精神病性を対にして用いる場合、精神病性というのは、「現実を正確にとらえる能力」に障害があるという意味だ。reality testing の問題である。勿論、その他にいろいろな考え方があるだろうが、私としてはそのように考えている。多くの場合、精神病性のほうが病理として深いのであるが、実際に難治であるとか、人生の困難を考えると、どちらが重篤なのかは即断できない場合もある。病気と障害の違いである。

たとえば、アルプスの少女ハイジで、クララは車いすで移動する半身不随の少女である。半身不随というのは不正確で、私は何の病気なのか知らないのだが、ともかく、車いすで生活している。ひとつの山場は、ハイジの献身と励ましで、クララが自力で立ち上がる場面である。時間がたって神経が再生したのだろうとも考えられるが、同時に心因性の要素も考えないといけない。心が癒されたという側面があるかもしれない。

車いすは不自由であるが、疾病利得もある。回復することは疾病利得の放棄である。そのことが深い原因となって、意識的にか無意識にか、症状が長引く。そのようなことは多い。

例えば、ある人は、若いころから和菓子職人として青山で修行して、充分な技能を習得して、神奈川でお店を持った。それが50歳のときのことだった。そこで一所懸命仕事に励んで62歳のときには三階建ての立派な店を新装開店した。その開店記念式典の最中に、起立不可能になった。神経内科とか整形外科とかに相談に行き、診察を受け、MRIなど写真も撮り、生化学的検査も受けたが、解明不可能だった。リハビリはなかなか進まないというか、まったく進展しない。多くの人は、苦労した挙句、新装開店記念式典で症状が始まったという劇的展開に驚くが、了解はできない。やっとたどり着いた晴れ舞台でなぜ、と謎が深まる。

このような例はあるもので、心因性と取りあえず言うが、分からないという方が正しい。

この場合は、起立不能という症状なのでやや分かりやすいが、たとえば、うつ状態が始まったとすれば、どうだろうか。さしあたって、起立不能は身体病か神経症か、にあたるところが、うつ状態は精神病性うつ病か神経症性うつ病かということになる。これは正確には、鑑別不可能であると思う。四肢麻痺が身体病なのか神経症なのか、完全には鑑別不可能な場合があるのと同じである。しかし、中には鑑別可能な四肢麻痺の場合もある。同様に、精神病性うつ病の中に『内因性うつ病』と昔呼んでいた一群があり、それは神経症ではないらしく、精神病と考えられるが、脳を調べても原因が分からない、しかし種々の状況から、身体因性の一種に違いないだろう、将来科学が進歩すれば原因がわかるだろう、と昔の大先生が推定して、『内因性 endogenous 』うつ病と呼ぶことにした。だから、身体性疾患である。

このような事情から、身体因性・精神病と言えるし、心因性・神経症とも言えるだろう。しかしそれでは迂遠なので、精神病と神経症と言っていたが、言葉の意味がだんだん変化していった。この場合は拡散していったといっていいのだろう。

この内因性うつ病というものが少し特殊なもので、病前性格、発病状況、症状、経過、遺伝、治療法などひとまとまりの特徴あるものであると考えられていた。私はそれが今も正しいと思うが、DSMは根拠が薄いとして、表面からは引退させた。

それでもこんなにもいろいろと言いたいことがあるのはなぜかと言えば、内因性うつ病と反応性うつ病と概念設定しておけば、診察室で実に合理的に思考できるからである。

まず、内因性うつ病と反応性うつ病は概念としては重ならないが、一人の人間に、同時に起こることは可能である。反応性うつ病は、何かのエピソードに反応して起こるのであるから、自分が内因性うつ病になったということは、自分自身で考えて、非常に深刻なことであることを踏まえれば、当然、反応性うつ病になってもいいはずである。

実際、最初は内因性うつ病と考えられ、内因性うつ病としてふさわしい治療経過をたどっていた人に、途中から、神経症性うつ病の成分が混入するのである。それによって治療経過に変化が生じる。このあたりは微妙で、内因性うつ病としてふさわしくない治療経過をたどっているから、その部分は神経症性うつ病の成分なのだろうと推定されるというべきかもしれない。

神経症性うつ病に対処する方法は内因性うつ病に対してのものと違うから、やはり区別は役に立つ。治癒が遅れているのが神経症性うつ病の成分が原因である場合、薬剤を調整してもうまくいかないだろう。精神療法としても、内因性成分に対するものとは違う方針になる。うつ病の人に対して励ましてはいけないという原則も、この鑑別をしたうえで適応される。

鑑別の原則として、ヤスパースが了解概念を提案して、その後長く尊重されたと思うし、いまでも初歩的にはかなり有効であると思うが、やはり原理的に無理があると思う。

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