下書き うつ病勉強会#104-2 世界が色褪せて見えるのは脳のせい―離人感・現実感消失症の病態解明への第一歩―

下書き うつ病勉強会#104-2 世界が色褪せて見えるのは脳のせい―離人感・現実感消失症の病態解明への第一歩―
  • 外界が色褪せて見える知覚変容を生じる脳のしくみを発見
  • ドーパミン受容体密度が高い人ほど、色褪せて見えると錯覚している時、前頭葉と頭頂葉の神経活動が高くなる
  • 知覚変容を伴う離人感・現実感消失症1)を生じる脳のしくみの理解と、それに基づく新たな診断や治療につながることが期待される
  • 「世界が色褪せて見える、見ているものに生命感を感じられない」などの知覚変容は、健常者においても一時的に経験されることがある感覚ですが、それが長期にわたって持続して自分自身や外界に対して現実味が感じられなくなる、離人感・現実感消失症という症状があります。この症状は、離人感・現実感消失症の患者だけでなく、うつ病や統合失調症患者にもしばしば現れますが、心の病気と捉えられ、ほとんど研究が行われておらず、現実感の低下が生じる脳のしくみはわかっていませんでした。
  •  量研放医研では、脳の機能や活動を調べることができるPET2)とfMRI3)を用いて、心理学的錯覚が生じる脳のしくみを解明してきました。そこでこの手法を応用して、現実感の低下が生じる脳のしくみを解明するため、健常被験者14名に、fMRI検査中に、彩度順応効果4)を利用して色褪せて見えるように知覚を変容させ、見ているものに対する現実味をどの程度感じるかを答えてもらいながら脳活動を計測しました。さらに同じ被験者に、PET検査を行い、脳の線条体5)と呼ばれる領域のドーパミン受容体密度を測定し、脳活動との関係を解析しました。その結果、線条体ドーパミン受容体密度6)が高い人ほど、色褪せて見えると錯覚することで現実感が低下する時の前頭葉7)と頭頂葉8)の神経活動が高いことが判明しました。
  •  本研究の成果により、離人感・現実感消失症が生じる脳のしくみの理解の進展や、しくみに基づく新たな診断や治療戦略が打ち出されることが期待されます。また、このしくみは裏返せば、私たちが見えているものをどのように現実として捉えているかを示すことから、「現実とは何か」という哲学的問いへの脳科学的解明に繋がることが期待されます。
  • 研究開発の背景と目的

「自分を取り巻く世界が色褪せて見えて、現実味を感じない」
 これは「現実感消失症」と呼ばれる主観的な感覚の異常です。このような奇妙な感覚は、青年期に、多い場合で70%に一過性におこることが報告されているように、誰でも一度や二度は経験したことがあるかもしれません。
 しかし、一時的な感覚であるはずのこのような体験が長期間続く場合、それは、精神疾患症状のひとつ、離人感・現実感消失症として捉えられます。現実感消失症や離人症(自分自身から現実味が失われる感覚)は、古くから報告があるように側頭葉てんかん患者の発作症状として生じるほか、うつ病や統合失調症患者にもしばしば現れます。
 この、周囲の状況から現実味が失われるという奇妙な感覚は、心の病と捉えられ、ほとんど研究がされておらず、どのような脳内のメカニズムによってその感覚が生じるかは明らかにされていません。
脳内の神経伝達物質の動態を調べることができる画像診断装置のPETと、脳のどの部分が活動しているかを血流の変化で調べることができるfMRIを用いて、心理学的錯覚が生じる脳のしくみを解明してきました。そこで、これらの手法と、視覚実験によって色彩知覚の変容を誘導する手法を組合せて、外界が色褪せて見える知覚変容により、現実味が感じられなくなる感覚を生じる脳のしくみを明らかにすることを目指しました。

研究の手法と成果

 健常男性被験者14名に、fMRIで脳活動を計測しながら、彩度が異なる花の写真を、高彩度の後に中彩度、低彩度の後に中彩度の順に見せ、それぞれの写真に対して感じる現実味を、視覚的評価スケール9)を用いて0(全く現実味がない)から100(非常に現実味がある)で評定してもらいました。
 このように提示すると順応効果が利用でき、高彩度写真の後に中彩度写真が提示されると「色褪せた」と知覚し、低彩度写真の後に中彩度写真が提示されると「色鮮やかになった」知覚して、物理的には同じ中彩度写真に対する主観的な知覚のみを変容させることができます(図1)。

​図1 彩度順応効果を利用した実験デザインの画像
図1 彩度順応効果を利用した実験デザイン
高彩度写真の後に中彩写真を提示して「色褪せた」知覚を、低彩度写真の後に中彩度写真を提示して「色鮮やかな」知覚を喚起させる方法。中彩度写真の彩度は物理的には同じだが、主観的な視覚(見え方)は変容する。

中彩度写真に対する現実味の評定結果から、低彩度の後に中彩度が提示され(低彩度順応)「色鮮やかになった」と知覚した時よりも、高彩度の後に中彩度が提示され(高彩度順応)「色褪せた」と知覚した時の方が、現実味の程度が低くなることが示されました(図2)。

図2 中彩度刺激に対する現実味の程度の画像
図2 中彩度刺激に対する現実味の程度
中彩度写真に対する現実味は、高彩度順応して「色褪せた」と知覚したときの方が、低彩度順応して「色鮮やかなった」と知覚したときよりも有意に低い結果になった(**p<0.01)。

 次に、同一被験者に、脳内のドーパミンD2受容体に結合する[11C]ラクロプライドという薬剤を用いてPET検査を行い、脳内の線条体と呼ばれる部位のドーパミンD2受容体の密度を計測しました(図3)。

図3 線条体におけるドーパミンD2受容体のPET画像の画像
図3 線条体におけるドーパミンD2受容体のPET画像
脳内のドーパミンD2受容体を検討できる[11C]ラクロプライドという薬剤を用いてPET検査を行い、モデル解析により脳内の線条体と呼ばれる部位のドーパミンD2受容体の密度を測定した。赤いほどドーパミン受容体の密度が高いことを示している。

 そして、高彩度順応して「色褪せた」と知覚している時の脳活動と線条体のドーパミンD2受容体密度との相関関係について解析しました。その結果、線条体のドーパミンD2受容体の密度が高い人ほど、「色褪せた」と知覚している時に、右背外側前頭前野(図4左)7)および左下頭頂小葉(図4右)8)の神経活動が高いことが明らかになりました(図4)。

図4 fMRIで計測した脳活動データ​の画像
図4 fMRIで計測した脳活動データ​
脳内のドーパミンD2受容体の密度が高い人ほど、「色褪せた」と知覚している時の前頭葉と頭頂葉の神経活動が高いことがわかった。

今後の展開

 これまでの脳科学研究で、背外側前頭前野と下頭頂小葉の神経活動は、視覚意識や注意機能に関連することが知られています。このことと、本研究の成果から、色褪せて見えると錯覚することで現実感が低下する際、線条体のドーパミンD2受容体密度が高い人ほど、視覚意識や注意機能に関連する脳領域の神経活動が高くなるという脳のしくみが初めて示されました。
 これにより、心の病気として捉えられることの多い離人感・現実感消失症などの解離性障害群が脳の病気として認識され、発症する脳のしくみの解明、しくみに基づく診断や治療開発に繋がることが期待できます。また、このしくみは裏返せば、私たちが見えているものをどのように現実として捉えているかを示すことから、「現実とは何か」という哲学的問いへの脳科学的解明に繋がることが期待できます。

用語解説

1)離人感・現実感消失症

離人感・現実感消失症の基本的特徴は、離人感、現実消失、またはその両方が持続的または反復的に出現する症状のこと。離人感の症状は、自己の身体、感情、思考、感覚などから自分の主体性が失われて、自分自身を非現実的に感じる体験とされている。一方で、現実感消失の症状は、外界(世界、人、物など)から自分が切り離されているように感じられ、周囲の世界に親しみを覚えられず、非現実的に感じる体験とされている。

2)PET

ポジトロン断層撮像法(positron emission tomography: PET)のこと。画像診断装置の一種で陽電子を検出することによってさまざま病態や生体内物質の挙動をコンピューター処理によって画像化する技術である。生体において、脳神経受容体などの脳神経伝達機能の分子指標を定量的に画像化することで、脳の機能を調べることができる。

3)fMRI

機能的核磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging: fMRI)のこと。MRIを高速に撮像して、神経細胞の活動に伴う血流動態反応を視覚化することにより、運動・知覚・認知・情動などに関連した脳活動を画像化する手法である。

4)彩度順応効果

直前の感覚入力情報を利用して、視覚対象の形状、輝度、色彩などの見え方に補正をかける視覚順応効果の一種である。彩度順応効果は、高彩度刺激を暴露後に呈示された視覚対象は色彩が褪せて見えるが,低彩度刺激の暴露後では同じ対象の色彩が鮮やかに見える現象である。

5)線条体

線条体は皮質下構造であり、大脳基底核の主要な構成要素の1つ。ドーパミンが豊富な部位で運動機能への関与が最もよく知られているが、報酬系の一部であることや、運動制御、意思決定など認知過程にも関わると考えられている。

6)ドーパミン受容体密度

ドーパミンは中枢神経系に存在する神経伝達物質で、運動調節・認知機能・ホルモン調節・環状・意欲・学習などに関わる。ドーパミンは脳内の線条体と呼ばれる部位において多く認められる。PET用薬剤が受容体に結合する量(結合能と呼ばれる)を算出し、ドーパミン受容体密度の指標を得る(結合能は受容体密度を反映する)。また、ドーパミン放出量と受容体結合能は反比例し、ドーパミン放出量が多いと薬剤の結合能は小さくドーパミン受容体密度が低いと判断することができ、ドーパミン放出量が少ないと結合能は高くドーパミン受容体密度が高いと判断できる。さらに、線条体のドーパミン受容体密度は、例えば、ドーパミンが多量に放出されることで受容体密度が低下することや、ドーパミンが枯渇することで受容体密度が増加することなど後天的に変化することが知られている。

7)前頭葉

前頭葉は両側の大脳半球の前部に存在し、前頭前野、一次運動野、高次運動野がある。前頭前野は、外側前頭前野、眼窩前頭皮質、内側前頭前野にわけられる。ドーパミン感受性ニューロンの大半が前頭葉に存在する。実行機能、行動選択、認知制御、意思決定、情動判断などに関わると考えられている。

8)頭頂葉

頭頂葉は両側の大脳半球の後部に存在し、上頭頂小葉と下頭頂小葉にわけられる。視覚、聴覚、体性感覚などの感覚情報の統合処理、空間認知、注意の制御などに関わる領域として知られている。

9)視覚的評価スケール(VAS:Visual Analogue Scale)

主観的評価の報告に用いられる評価尺度の一種のこと。一般的に、水平に記された直線上の左端を0、右端を100として、回答者が現在の主観に合う位置に印を打つ形式をとる。

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