下書き うつ病勉強会#106 糖尿病とうつ病における精神的サポート

糖尿病とうつ病における精神的サポート

うつ病を持っていたら糖尿病の発症率が高い,糖尿病を持っていたらうつ病の発症率が高い,お互いに病因論的に関連している.

身体疾患を持っているということは,脳や感情,あるいは考え方に何らかの影響を及ぼすのだという基本理解は必要だろう

正常って何だろう,精神的に何もないという人がいるのだろうかと思ってしまいます.

精神疾患は正常と非連続だと書いてある精神科の本があります.非連続なところにあるものだけをきちんと精神疾患と呼ぶというふうに,ヤスパースという精神科医かつ哲学者が定義したのです.それが現代のDSMとか, ICDでは,スペクトラム状に広がってきたものはすべて疾患に入れています.変化がありました。病気と正常の区別は、最近では、最終的にその人が社会の中で適応しているかどうかだけで決めるので,そこが問題です.

身体疾患は必ず心への影響が出てきます.糖尿病の場合は,はっきりしたうつ病ではなくても,糖尿病を持っているだけでも,あるいは糖尿病の治療に関連しても、心理的な負担が大きいのです.だから糖尿病で治療する人に対して、尊敬であったり,敬意であったり,大変なことをやっているのだなという見方から始まります.「あなたは糖尿病になったのだから,食事療法をするのは当たり前だろう」という発想にはなりません.そういう見方から入っていけば,医者やコメディカルの糖尿病を持つ人に対するイメージは変わってきます.つまり,教育や指導という立場から,どうすればこの人の療養を支えられるだろうという発想になってくるのではないでしょうか.これが第1です.

第2は,糖尿病の治療は,身体からの必然性では保証されていない,つまり,糖尿病ではない別の疾患では,痛いとか,動けないとか,身体症状があります.そういう疾患は「痛い」とか「歩けない」などで身体からの必然性で治療を求めるから,治療の必要性の説明は要らない.胸が痛いから治療に来る,つらいから治療に行く.だけど,糖尿病は身体症状がおおよそない.糖尿病自身の,例えば高血糖というけれども,高血糖に基づく症状は一部しか出ない.どこか痛いとかで、身体からの必然性で認知して治療に取り組むというのは,患者にとっては始めやすい.一方,糖尿病はどうやってその治療を始めるかというと,医師からの説明,医療者からの言葉による説明をベースの資料として,自分でイメージを組み立てないといけません.

私たちは簡単に「血糖のコントロールが悪かったら,10年後に合併症になりますよ」なんていう言葉という記号でいっているけれども,その記号を取り込んで,それをイメージに戻すというのは,簡単ではない.記号が実態を持ってこない.でも,そのイメージを持たなくては治療が始まらない.これは普通に考えると,極めて難しいです.

最近,行動活性化といって,行動から入ってしまうと,認知がついてくるみたいなことも取り組まれていますが,でも行動活性化もやはり難しい。

私たちがいくらいってもだめなところが,たまたまご主人がワンちゃんを飼ってくれたおかげで,ワンちゃんの散歩をだんなさんが出張のときにしなければいけないので,散歩に無理やり出始めたら元気になってくる人とか,そういう人が結構いたりします.行動活性化は大事なのですが,われわれじゃないところで事が動くことってあるなと思います.personalized value.この人にとって,その犬の代わりをするのは何だろう.これだよね.これが難しいです.偶然が起こったときに,それを生かす力をその人と医師が持っているかどうか.普通からそういうチャンスを生かせるような診療になっているかどうか

そういうチャンスをじっくり待って,変化しないことに互いに耐えながら,変化するきっかけを待っているような感じのイメージ.医療者も,患者本人も,変化しないことに耐えながらというのは治療のエッセンスですね.血糖値やHbAlcに反映されない変化でも,小さい変化をみつけて,そこをエンカレッジするところは重要だろうと思います.

基本のコミュニケーションスキルと動機づけは別々の項目ではなくて,一体一連,流れの中にあると思うのです.

うつ病に関しては,連続性から非連続に至るような内因性のうつ病である人と,症状の一定期間の持続をもって診断された人はちょっと層が違うので,今の診断基準で合致する人の中には,生活習慣を改善する中で良くなっていかれる人が結構な割合でいらっしゃる.むしろとても役に立つ人のほうが多いのではないか.

逆にいうと,うつ病が良くなっていくということは,生活習慣をただすことができるようになるということかと思います.

つまり,糖尿病の治療は,1日の生活のオーガニゼーションといいますが,何をやって,次に何をやってみたいにオーガナイズする中に,どうはめ込むかということですよね.そうすると,単に治療だけを3回やっていればよいのではなくて,1日全体の生活,朝起きたときに,今日これをやって,こういうことがあって,午後こういうことがあってということをイメージして,自分の1日を組み立てます.多くの人は.治療がちゃんとできるようになるというのは,たぶん1日が自分でイメージできるようになる.まずそこから.とすればうつ病でそこまでくるというのは,かなり良い状態ですよね.

リハビリは良くなってからやるというよりは,やりながら良くなるというところを順番に組み合わせていくのが大事.そのきっかけをあまりつかまずに慢性化される方とか,なかなか良くなるきっかけをつかめない人のほうが人数的には多いので,ずっと休んで,良くなってから動きましょうというのは,かえって難しいと思います.

うつ病が多いですが,他に不安症がありますね.先ほどの糖尿病の動機づけの続きになりますが,一般的に動機づけは患者を不安にさせているのです,結局は.「血糖が高かったら,合併症になります」って,思い切り不安にさせているわけです.

何が怖いかというと,低血糖です.低血糖の体験というのは,パニック発作を経験したことがある人がいうには,症状がほぼ一緒なのです.ドキドキする,汗が出てくる,ポーッとする,意識が遠くなっていく.ものすごく恐怖なの.だから低血糖が治療の妨げになります.もっと広くいえば,全般性不安障害みたいになってくると,〈低血糖はなくなったけれども,今度は血糖が高い〉と,〈合併症が極端に心配〉と.何でも不安なわけです.

コンプリメントの伝え方で,直接的に「良いですね」という以外に,「ほかの人からみたら,良いですね」とか,本人からみて,良いように思えるような言葉がけをするとか,コンプリメントのやり方もいろいろあると思います.
「周りの人がみたら,どう思うでしょうね」という言い方をしてみたり.先ほどの価値の話につながると思いますが,その人の価値と結びつけて,「こういう考え方があって,こんなふうにされたんですね」みたいにいうと
か,直接のコンプリメントと間接と,セルフコンプリメントにつながるように,いい方を意識するというのをトレーニングする

決まり文句として使わないとか,生きた言葉を使うというところは大事かなと思います.

「今回,良かったですね」というと,それはもうちょっと油断しても大丈夫の合図みたいになっている人もいて,そういう人に,その人が大事にしている価値観とか,周りの人がどう思っているかということを入れると,油断するサインにはならなくなるような気がするので,そういう視点は重要ですね.「良かったですね」とだけいう
と,〈これはもっと食べて大丈夫なんだ〉と受け取って帰る人がいるので,いい方を意識するというのは大事な視点だと思いました.

広い意味での精神疾患といったらいいのか,心の弱さ,ストレス耐性の低さを持ったような患者さんですね.

もともと小さい頃から逆境体験が多くて,人生への構えがもともと悲観的な,自分なんていても仕方がないとか,消極的な死にたい気持ちみたいなものを抱えながら,20代,30代まで生きてらっしゃる人の疾患治療への取り組みです.われわれが通常,医学モデルで思っているものとまるで違うので,そういう人に身体疾患がありそうだなと疑っても,なかなか内科に行っていただくのが難しい.病気がみつかることを恐れている場合もあるし,あっても治療費もかかるしと思っている場合もあるし,しようがないと思ってる場合もあるし,むしろ行かないことで,一種の自傷行為になっている人がいるのです.人生への構えみたいなものが,もともと医療の普通のヒューマニズムモデルと違う人への対応が一番難しいと感じています.

糖尿病者のこころに応える医療者のこころの在り方.

医学と患者と医療者をつなぎ,支える.病を引き受けられない糖尿病患者さんのケア.

糖尿病医療学 医師と患者治療者をつなぎ,支える.

タイトルとURLをコピーしました