下書き うつ病・勉強会#37 レジリエンスとプラセボ
精神医学領域でレジリエンスは回復力を指すとともに、防御因子を広く指すとも考えられている。教育領域でのハーディネスとレジリエンスの区別はなくなり、どちらもレジリエンスと呼ばれているようである。病気に対する抵抗力と治癒力といった漠然とした意味のようである。
診察室に患者さんが来るときは、病気という嵐が過ぎ去って、その後片付けと復興の時期ということがある。
たとえば、事故による骨折は、自己という嵐が過ぎ去った後の、後片付けと復興の作業である。
これは精神病で言えば、急性ストレス反応と類似している。
この場合のレジリエンスは、ハーディネスの意味ではなく、狭義のレジリエンスつまり回復力の意味となる。
一方、悪性腫瘍などの場合は事情が異なり、病理は新たな進行を見せており、それと回復力・抵抗力とを総合したものが病気の経過となる。病理の進行に対する抵抗力が存在し、かつ、病理の進行に負けた部分の回復が行われる。この場合は、ハーディネスと狭義のレジリエンスの両者が考慮されるべきであるが、概念的には区別されるものの、実際には区別が難しい。その意味では、両者を含めて、広義のレジリエンスと呼ぶのも合理的である。
免疫系は分かりやすいレジリエンスの例である。
レジリエンスは病気の経過と密接な関係があり、したがって、治療を考えるうえで重要である。治療はレジリエンスを妨げず、促進するように考慮される。
急性ストレス反応の場合は、レジリエンスが経過の実質部分となる。
慢性進行性の病気では、病理の進行とレジリエンスの総合が経過として観察される。
防御因子は非脆弱性と同じ意味になる。
神経細胞の可塑性はレジリエンス概念の実体であると考えてよいと思われる。たとえば脳梗塞により神経細胞が活動停止したとき、周囲の細胞が可塑性を発揮し、失われた機能を補うならば、これが回復力・レジリエンスである。
病気の研究は主になぜ病気になるのかの探求に主眼が置かれてきた。なぜ治るのかについての関心が最近になって新たに焦点となってきた。それがレジリエンスモデルである。
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私が昔勤務した病棟では統合失調症や躁うつ病の患者さんの日々の精神療法を詳細に記録することが大事な仕事だった。絵画でスーパーリアリズムがあるが克明に写真以上に精密に描く。それと似ていると思うが、人間が人間の面接をしてその記録をどのように残せるか。もちろん、面接場面ビデオで説明する以上の言語化が求められる。絵画では、気分が伝わればそれでいいとか、芸術は写実とは違うとかいうのだろうが、病気の研究をする場合に、何が起こっているかを、どのように把握するかは大きな問題で、測定できず、もっぱら言葉を用いるしかなく、患者さんには主観があり、治療者側にも主観があり、それを排除すればビデオ記録になるのだろうが、ビデオは患者さんの言動が治療者にどのような心の動きをもたらしたかを記録できないので、やはり治療者による精密な記録はどのようにして可能なのかを求めることは重要なことだと思う。その場合の、治療者側の、常識という枠組みとか、精神医学理論という枠組みとか、世界観や人生観という枠組みが、先入観として作用していないか検証することが必要だった。そのような枠組みは、自分で気づいて反省することが原理的に難しい。たとえて言えば、自分がどんな眼鏡をかけて景色を見ているのか自分ではなかなか検証できないのと同じである。
以上はどのように見るかの問題であった。しかしこうしてレジリエンスのことを考えてみると、そこで記録しようとしていたものは、統合失調症や躁うつ病の病気の原因や本質に迫るものではなくて、生体の回復力だったのだと考えられる。
統合失調症や躁うつ病で入院する場合、あるいは外来通院する場合、病気の原因が、徐々に脳を侵食してゆくイメージではない。薬剤も使うわけで、いったんは病勢は押しとどめられる。そしてレジリエンスのほうが優勢になる。その場面から観察を始めていることになる。
前にも書いたように、骨折、脳血管障害、急性ストレス反応などは、外力の影響はいったん停止して、我々が観察しているのはレジリエンスの時間的経過である。
また一方、ある種の腫瘍などの場合は、侵食する力が間欠的にではなく徐々に継続的に作用するものであり、その場合は、病気の力とレジリエンスの相反する力が交錯する場面を観察していることになる。
統合失調症や躁うつ病はどちらのタイプかと考えるが、病勢は完全には止められないものの、数か月単位で見れば、いったんは病勢は押しとどめられ、我々が観察しているのはレジリエンスであろうと思われる。
レジリエンスの観察も大切だというのがレジリエンス流行の趣旨だと思うが、やはり伝統的な意味では第一には病気の原因を知りたいわけで、その意味では、入院病棟で記録しているのは、火事の焼け跡の現場検証のようなものだろう。そしてその後、家が再建されてゆく、工務店の仕事を克明に記録しているようなものではないか。それは火事が出た初めの記録ではないし、したがって、火事の原因を知りたいと思っても、間接的な証拠でしかないと思われる。
原因を知るには、病気の一番始まりから精密に観察する必要があるはずだ。しかしそれが難しい。振り返って思い出すときにはいろいろな心理的加工が混入する。周囲の人も、病気の兆候という意味で観察しているわけではない。病気の一番最初にどんなことがどんな時間順序で起こるのか。さらには、それらが始まる前の精神的座標はどうだったのか、それが知りたい。
脳血管障害で言えば、神経内科医の仕事としては診断するところまでで、その後のリハビリはリハビリ部が担当していた。リハビリ部は主にレジリエンスを促進し、レジリエンスを妨げるものを除去する仕事で、これは脳血管障害の発生のメカニズム探求とは違う仕事だ。
病棟で細密記録をすることは、レジリエンスについてのスーパーリアリズム記録をしていたのだと思うと、すこし頭が整理されたような気がする。リハビリには役立つが、原因そのものを探求する方法ではないと思った。
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教育学、心理学分野でたくさんの論文が出ている。参考になるものはないかと探してみた。
中学生における精神的健康とレジリエンス
キャリアレジリエンスの構成概念の検討と測定尺度の開発
中学生のレジリエンスとパーソナリティとの関連
コミュニティ・レジリエンス
高齢者向けレジリエンス尺度作成の試み
大学生のソーシャルスキルと自尊感情がレジリエンスに及ぼす影響
幼児の園生活におけるレジリエンス 尺度の作成
乳がんサバイバーのレジリエンスを促進する要素
ソーシャルスキル・トレーニングが中学生のレジリエンスに与える影響について
レジリエンスと日常的ネガティヴライフイベントとの関連
“子どものレジリエンス” の概念分析
レジリエンスエンジニアリングが目指す安全Safety-IIとその実現法
障害児を持つ母親の子育てレジリエンス
大学生運動部員のレジリエンスモデルの構築
「教師レジリエンス」
ロールシャッハ・エゴ・レジリエンス指標の開発
エゴ・レジリエンスの構成概念について
レジリエンスとは何か: 何があっても折れないこころ
家族レジリエンス概念
レジリエンスを高めるダンスの有効性に関する研究
慢性の病いにおけるスティグマとレジリエンス
災害に対する地域社会のレジリエンス性評価
対人援助職者におけるストレス認知とレジリエンス
論文が書きやすくて科研費の申請が通りやすいんだろう。
個人のレジリエンス(ストレスに対する回復力)から始まって、いろいろな方向に拡大している。
幼児から高齢者まで。年齢ごとに輪切りにしてレポート。
教職者、エンジニアなと、職種によってレポート。
乳がんサバイバー、障害児を持つ母親などストレスの内容によってレポート。
中には レジリエンスとは何か: 何があっても折れないこころ というタイトルもあるのだが、何があっても折れない心はハーデンネスとか剛性であり、折れても回復するこころが狭義のレジリエンスである。広義のレジリエンスで、抵抗力も含めていることが分かる。
一時はネガティブな幼児体験によるPTSDのこと、次には愛着障害のことなど、流行が激しい感じはする。しかしいずれにしても、だいたい同じような話の解釈し直しのようでもある。
脆弱性について語ることは、あまり楽しい話ではない。気が滅入る。賛成者も少ない。それに対して、ストレスについて語ること、またレジリエンスについて語ることは、外部責任にしたり、内部のよい素質について語ることなので、やや話がしやすい。
教育学にとっては、内因性精神病などは原理的に回避したい領域だろう。教育の有効性を証明するのが難しい分野なのだと思う。大学生のメンタルヘルス教育には大切な項目であるが、シゾフレニーのことなどは前向きな話があまりできない印象があるのではないか。教育の人がまず薬を飲んでくださいとも言いにくいし、それは教育学とも言いにくい。
そのとき、ストレス脆弱性レジリエンスモデルなどで説明すれば、だいぶ話がしやすくなるだろう。特に、教育によりレジリエンス向上が期待できるとなれば、論文が書けるので、教育、教育心理、心理にとってはよいターゲットだろう。
この辺りの研究は意外な結果とか常識を覆す結果はほとんどない。誰が考えても当たり前のことが検証されるだけのようだ。
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レジリエンスを邪魔しない、レジリエンスを促進するという観点からの話としては、プラセボの話がある。薬剤の効果を検討するときに、二重盲検法というものを使う。試験したい薬剤と、これまで発売されている中で代表的な薬剤、それらと外見はそっくりの偽薬を用意して、処方する側も服薬する患者さんも実薬か偽薬かを知らない設定で効果を比較する。これが標準的な薬剤効果の検定であるが、最近は抗うつ剤の試験で、既存薬剤に対しても、プラセボに対しても優位性を示すことができないことがある。諸外国では10年前に承認され、実際に使用され、論文にも名前が載っている薬が、日本のテストに通過しない。結果として、厚労省が健康保険使用薬剤として承認しないということになる。
これはどうして起こるのだろうかと考えると、ひとつはプラセボの有効率が高すぎるという議論になる。なぜプラセボが効くのだろうと考えると、昔は暗示効果や自己治癒力と言っていた。そもそもそれをプラセボ効果と呼んでいた。そこで思考停止していた感じですね。
暗示効果について言えば、暗示が何に効くのかと言えば、やはり自己治癒力を活性化すると言えるでしょう。どのような経路かは分かっていませんが。
つまり、暗示や自己治癒力と二つの言葉で言っていたものは実際は自己治癒力とまとめてよいようです。そして自己治癒力の内容を検討しようというわけです。
典型的には免疫系の活動が自己治癒力の一つですね。また、骨折の時の造骨細胞の働きは回復力ですね。脳血管障害で神経細胞が働かなくなった時に周囲の神経細胞が、失われた部分の機能を補完するように可塑性を発揮するのは回復力でしょう。
免疫系、造骨細胞、神経細胞の可塑性、これらの働きを妨げない、さらには促進することが治療に役立ちます。このあたりがプラセボ効果だろうというわけです。よく考えると当たり前の話で、言葉の言いかえをしているだけのような気がしますが、もっと詳しい内情が分かるまでの過渡的な話と思ってください。
またプラセボによって有害作用が現れることを「ノセボ効果」と呼ぶ。たとえば、抗うつ薬で気分は楽になるが、胃もたれが起こるという場合、偽薬でも、気分が楽になり、かつ、胃もたれが起こる。これは何が起こっているのか、解釈が難しいところです。副作用とか有害作用という場合、その薬の本質的な作用機序そのものが引き起こしていることなのかどうかが問題になります。たとえばSSRIの場合は、セロトニンを増やす方向で働くので、脳内だけではなく腹部神経のセロトニンも増加、その結果胃腸障害が起こるわけです。すると、それを阻止するためにセロトニン系の胃薬を使うということになる。ということは、偽薬でもセロトニン系に変動が起こっているのか。この例で言えば、自己治癒力を促進していると解釈することはできないように思う。しかし何が起こっているかはよく分からない。
自己治癒力という言葉も注意が必要で、例えば、おねしょをしてしまうので何とかしてくださいという場合、おねしょがなくなれば一番いいが、そうでない場合もあって、おねしょは続いているが気にならなくなった、という状態はどうだろうか。これも一種の自己治癒になるのだろうか。
おねしょの例はおねしょと精神の悩みなので分離しやすいが、精神の悩みについての場合は、精神の悩みがあっても気にしなくなる状態は一種の自己治癒と言えるのだろうか。
気道感染症、骨折、脳血管障害の場合の自己治癒力は具体的にイメージしやすい。しかし統合失調症や躁うつ病、不安性障害、ADHDなどについての自己治癒力はなかなかイメージしにくい。
抗うつ薬の効果については、プラセボの効果を考えると、抗うつ薬の効果も、プラセボと同じメカニズムのほうが効果は大きいのではないかとの意見もある。抗うつ薬がシナプス接合部でのセロトニンとセロトニンレセプターの働きを調整するということもあるだろうが、それ以上に、プラセボと同じ効果が関係しているのではないかという話。
いろいろな推測があるが、たとえば、抗うつ薬はうつ病回復の内的なメカニズムを活発にする引き金になるとの考えが提出されている。抗うつ薬でも効果を発揮するには3週間程度を要する。プラセボでも効果発現に3週間程度を要する。これはなぜか。プラセボで示されている部分が内部の自己治癒力なのであるから、抗うつ剤の効果は内部治癒力を邪魔しないで引き出すことが本体ではないかと推測される。
ここは引用して紹介する。
抗うつ薬の効果を検討した研究があり、計429名の大うつ病性障害の患者を対象に、アミトリプティリン投与群、(ノルアドレナリンの強力な選択的阻害剤である)oxaprotiline投与群、プラセポ群に分け、30日余りにわたり二重盲検試験をおこなった。その結果、 うつ病からの回復の時間的推移は抗うつ薬群とプラセポ群で同じであり、治療様式によらないという大変興味深い知見が出された。これを踏まえ、抗うつ薬の作用に関し、次のように考える。1)抗うつ薬は、うつ病の治療に対する非反応群を反応群に変換することが、ある程度可能である。2)抗うつ薬は改善に必要な状態を引き起こし、維持することを可能にする。3)プラセポ群でも2~3週の潜伏期間をおいて改善が始まる点からして、抗うつ薬はうつ病からの回復の自然なパターンを変えるわけではない。結論として、抗うつ薬はうつ病に対し、うつ病そのものの改善をもたらすのではなく、うつ病の改善の機制を発動させる引き金作用(triggering effect)をもつという考え方が打ち出される。
この見解は魅力的である。プラセポ群が抗うつ薬群と同等なうつ病の改善効果を発揮したという知見は(もっとも30日間のハミルトン・スコアによる評価という限定つきではあるが)、うつ病の治療は、究極的には、もともと人間の身体にそなわる自然寛解、ひいては自己治癒への歩みを引き出すことに帰着するということを示唆する。この研究では対象の精神障害がDSMで規定される大うつ病性障害とだけ記載されているわけだが、軽症のものを含めるなら、内因性うつ病がかなりの程度含まれて
いることは十分予想されるところである。
というわけだ。
あるいは別の推測。骨折したときに骨をギブスで固定して、元通りの位置できれいに骨がくっつくようにする。固定していないと、位置がずれてくっついたりする。これと同じように、脳神経に対する自己治癒力が働くときに、脳全体を保護しているのではないかと考えられる。自己治癒力を促進するという話のようだ。
まったく学術的でない具体性のない抽象的な文学的な話である。
DNA研究がはかどっていない現状ではこんなものかなと思う。
レジリエンスの話はこんな感じでした。要するによく分からないものに、新しい名前を付けて、概念の輪郭が拡散しているだけのようだ。ドイツ語由来ではないのでアメリカの人たちはいい気分なのかも。
プラセボとレジリエンスの話を考えると、病気からの防衛と回復を手助けするのは医師患者間の信頼関係であると思う。信頼するお医者さんに処方してもらったお薬はよく効く。その理由が明確になればいいが、明確にならなくても、治療者としてできる今日ことはある。
薬に頼らずレジリエンスを引き出し、レジリエンスを妨げるものを取り除く治療ができればいいと思う。
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近年の脳科学においては、プラセポ投与によって効果が認められる事例では脳神経伝達物質の変化が認められることを明らかにする研究がいくつか出されている。注目すべきことに、(脳の変性により黒質、線条体のドパミン産生が減少するため運動障害をきたす)パーキンソン病の約16%でプラセポが効果を発揮するという報告がある。そうした事例では、PETの検査により、実際にプラセポ投与によって線条体からのドーパミ放出が増加することが明らかにされている。
精神疾患に対し精神療法だけで効を奏する事例についても、脳内神経伝達物質の変化がもたらされることを明らかにした研究がだされている。
このあたりは正確に何が起こっているのかまだ不明であるが、臨床の現場では重要なことだ。
逆向きに考えると、治療環境をプラセボ効果が出るように考え、治療者もカリスマのような態度をとり、プラセボ効果のあるような宣伝をして、結果としてプラセボ効果により、治療成績は良くなるかもしれない。その場合の治療者の頭の中身としては祈祷師とか占い師の系列と言えるだろう。以前の患者さんが、ある大学病院で、ここに来るだけで何となく病気が治るような気分になると、ブランドに対する信頼を語っていた。そのときはこちらも治療がやりやすかった。また、世間で語られているカリスマ有名治療者のところに行って何かの不調が治りましたという話を聞いてみると、暗示効果やプラセボ効果が大いにあると思われた。ただ、この方式を積極的に利用するかどうかは、治療者の教養や性格によるだろう。いろいろな人間がいて、治療者となり、患者となっている。世の中は何重にも複雑である。
とにもかくにも、治療者に対する心からの信頼が治療に役立つ。
(つづく)