うつ病の症状についてどう考えたらよいか、いろいろ考えているところでした。続けましょう。
精神症状の理解の仕方として、たとえば自我障害の場合を考えてみましょう。
自我障害は統合失調症の場合に典型的に見られます。自我障害は自意識の障害とか自我意識の障害と言っても同じです。selfawareness、Ichbewusstseinの翻訳です。もとはヤスパースです。自分が自分についてどのように意識しているかということですが、普段は自分は自分に決まっていますから、ほとんど意識することはありません。しかし病気になれば、いろいろなことが起こるわけです。
自我意識の指標として、能動性、単一性、同一性、外界と他者に対する自我の区別の4つが上げられます。具体的に説明しないと分かりにくいと思います。
能動性の意識とは、考えや感情を自分が考え、自分が感じているという意識です。言われてみると当たり前ですが、ここに障害が起こると、自意識の能動性が失われ、他者にさせられているとか、自分はしようと思っていないのに、自動的に起こるとかの現象が起こります。自分が能動的に行っているという意識が失われる。させられ体験などが典型的です。意志を持っているのは他人であり、自分の考えや行動は封殺され、操られている、またはさせられている。
単一性の障害とは、同一時間に自分は一つであるという意識。いかにも哲学ですが、自分が同時に他の何者かであるという意識で、たとえば何かに憑依されたとき、自分は自分であるが同時に狐であるとか、そんなことがあります。憑依の場合でも、その時は完全に狐であり、さっきまでの自分ではないという場合もあり、それは次に説明する同一性の意識の障害になります。こんなことを細かく分類してどうするんだとも言われそうですが、哲学ですから、いいんです。二重自我や自我分裂とかが例に挙げられたりします。
同一性の障害とは、時間の経過の中で現在の自分が以前と同じ自分であるという意識です。
外界と他者に対する自我の区別とは、自他を区別する意識です。自我の中に他人が入り込み、他人に思考を奪われる考想奪取。自我と他人の境界がなくなり、自分の考えが他人に筒抜けになる考想伝播などがあります。
こうして説明してみると、もう明らかに理解不可能な体験です。これらの自我障害は、意識障害とははっきり区別します。意識障害は意識の水準低下、つまり覚醒度の低下と考えられます。認知症の場合に見られる自分が自分であることがはっきりしないなどの症状は現実見当識の障害と分類されます。ここはどこ、今はいつ、私は誰とか、そのあたりが不明瞭になります。
自我障害に属する用語としては、自己存在喪失感、実在喪失感、有感情喪失、離人症、させられ体験、作為体験、考想奪取、考想吸入、作為思考、憑依体験(つきもの体験)、考想伝播、考想察知などが挙げられます。
一体何種類あって、何が何なのかと思いますね。
また例えば、強迫性体験は、自我障害ではありません。強迫行為があるとして、それは他人にさせられているのではありませんから、自分がしているという能動性は保たれています、同一時間の自我の単一性は保たれていますし、歴史としての自我の同一性も問題ありません。自我と他者・外界の区別もできています。強迫行為は自分では行為したくないと思っているし、ばかばかしいと思っているのだが、どうしてもやめられない行為です。止めたいと思っているのも自分ですが、どうしてもその行為をしてしまうのも自分なので、自我意識としての破綻はありません。自我親和的・自我違和的という指標も大切です。強迫性体験の場合には自我違和的です。
被害妄想はどうでしょうか。たとえば、隣の人が私を追い出そうと思って悪い電波を送っている、そのせいで部屋の温度が上がって生活しにくいと言ったとします。もちろん、調べても電波は出ていないし、部屋の温度も上がっていないとします。そのばあい、隣人の悪意は強く感じているのですが、そのことで自我の能動感が障害されることはありません。同一瞬間の同一性も保たれていますし、歴史としての同一性も問題ありません。自我と他者・外界の境界も問題ないようです。被害妄想は、妄想ですが、自我障害ではありません。
幻聴はどうでしょうか。他人が自分を貶める言葉を語り、また自分に命令している、その声が聞こえるなどという場合です。能動性は保たれています。無理やり声を聞かせられているわけですが、しかし、自我意識の能動性を障害するものではありません。聞きたくないとは言っても、声または音というものの性質から言って、聞かないわけにはいきません。見させられるのであれば目を閉じることもできますが、聞こえてくるものはどうしようもありません。耳をふさいでも、ノイズキャンセリングイヤホンを使っても、聞こえるのは仕方ありません。ここで、無理やり聞かせられているという意識が強くなれば、させられ体験として分類が出来るかもしれません。しかし聞くという行為を強制させられているという解釈が成り立つか疑問です。聞くという行為がもともと受動的なものなので微妙ではあります。また、幻聴が外部に発生しているのではないことは明白で、自分の脳で生成されているはずですから、内部の声を外部の声として聞いてしまっているという錯誤が生じています。本来はその声は自己に所属しているのに、幻聴の場合は謎の声が外部や他人に所属していると感覚しています。そのメカニズムを問題にすれば、本来自己所属のものを他者所属と感覚している点で、自我境界の破綻があるといえるでしょうか。そこを重く見れば自我障害ともいえると思います。またさらに、声が聞こえると言いますが、本当に声が聞こえているのでしょうか。聴覚神経に入力はあるのでしょうか。それとも、聞こえたと妄想している可能性はないでしょうか。例えば、脳に想念が浮かんだ時、それをどのように感覚するかは、声として聞く場合もあり、活字として見る場合もあるのではないでしょうか。その場合、幻視というべきでしょうか。幻聴とか幻視というよりは、想念が浮かび、それを知覚している状態と考えられないでしょうか。見ることよりも聞くことの方がはるかに受動的ですから、感覚するとすればとりあえず聞こえてしまうのではないでしょうか。そうすると、想念が自動的に浮かぶ、自分では浮かべたくないのに浮かんでしまう、ということになります。想念が自動的に浮かぶのは病気ではありませんね。
たとえば、風呂に入っているときにいいアイディアが浮かんだとします。その時どのように感覚しているでしょうか。頭の中に活字が浮かぶか、一瞬だけれど音声になるかといえばやはり声ではないでしょうか。そこまでは正常の体験だと思います。
それを自分が考えていると思えず、他人の声だと感覚しているのはやはり自我境界の破綻を意味するのではないか。そうするとやはり自我障害と言ってもいいのではないか。声の主体が他者になっていて、他者が侵入してきている感覚なのでしょう。
こんな感じなんですが、さらに精神症状を理解して分類したいと思って、昔の人はこんなことをしました。
能動性、単一性、同一性、自己所属感などと指標を立てて、それぞれに+、0、-と旗を立てます。すると、たとえば能動性-、単一性+、同一性+、自己所属感+の状態などと表現できる状態が理論的には存在することになります。3の4乗で81通りになります。精神症状の用語はそんなにないので、いまだに名付けられていない状態が存在するのでしよう。それは言語のきめ細かさの問題です。あるいは、理論的には考えられるが、実際の症状としては出現しない何かの理由があるのかもしれない。こんな感じでしらみつぶしにしていこう。能動性-、単一性+、同一性+、自己所属感-ならばさせられ体験です。能動性0、単一性+、同一性+、自己所属感0ならば自生思考です。
しかし、この試みは大した成果を生みませんでした。着眼点としてはいいと思うのですが。多分、どのような指標を使うかが問題で、さらには、それを+ 0-で評価していいのかという問題があります。連続した数直線上で評価したほうがいいですね。
この事情はたとえば虹の色の表現に似ています。光のスペクトルは連続ですが、私たちは言葉の習慣に従って、日本なら7色、アメリカなら6色、ドイツでは5色と認識しています。実際は連続的な変化なので、いくらでも細かく区別できるし、いくらでも大まかに表現できるわけです。
実際に、対人恐怖症は日本で詳細に研究されました。最近になってある製薬会社が薬剤を売るために対人恐怖をSADと呼んでコマーシャルしました。結果、売れました。対人恐怖の場合には統合失調症に近いケースもあるので、統合失調症を見逃さないようにしなければならないのですが、アメリカ流のSADはそのような配慮はあまり言われませんでした。
アメリカでは多重人格の報告が結構ありますが日本ではそれほどありません。カウンセリングの姿勢が違うのでしょう。結局言葉で現実を切り取ることは不十分です。光の研究をするなら赤というのではなくて波長で表現したほうがいいですね。
それにあたる方法は、まず指標をn個選定し、それぞれについて連続的な数字で測定し、それを時間軸を加えたn+1次元空間で分析することです。指標n個は最初はなるべくたくさん選べばいいですね。分析すれば、指標同士が独立か従属かの区別ができますから、独立なものだけ残せばいい。たとえば能動性について、数直線上に並べることができるかどうかですが、私はそれはごく自然にできると思っていました。
それについては
いろいろリンク
『こころの科学』 ネット社会とこころの悩みとDAM理論 今 忠 2009 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2009-05-21
英文 My Original Theory-1 DAM Theory in English (Depressive-Anankastic-Manic Cells Theory :Conprehensive biological theory for manic depressive disorder ,mood disorder and premorbid character traits) http://shinagawasn.blog.so-net.ne.jp/2011-10-18-1
『うつ病 治療ハンドブック-診療 のコツ』 共著 大野裕編 「統合失調症とうつ」今忠・原 田誠一 2011 http://shinagawa-lunch.blog.so-net.ne.jp/2010-01-21-3
英文 My Original Theory-2: Pathological Hypothesis of Schizophrenia: First/Second World Model, Time-delay Hypothesis,Temporal profiles of Neurons http://shinagawasn.blog.so-net.ne.jp/2011-12-24-6
躁状態先行仮説:気分障害再考 http://shinagawasn.blog.so-net.ne.jp/2011-07-17-1
「統合失調症とうつ」 イメージ空間測定法 自我障害の話 smapg-time-delay model http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-04 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-09-1 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-06-4 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-06-11 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-12 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-28-6
山内名誉教授の左右脳のお話 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-17
シンメトリーの話 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-23
その手前までの基本的な話 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2007-11-25-3
躁うつ病 smapg MAD-theory http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-04-23 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-13
http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-15-4
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統合失調症リハビリについて http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-07
うつのリハビリについて ドパミンレセプターとセロトニンレセプター セロトニントランスポーターと幼児期別離体験と牛若丸 体質改善のメカニズム ネット社会とこころの悩みとDAM理論 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2009-05-21
精神療法について http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-12-1
山内教授のうつのお話 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-15-6 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-16
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うつの治療 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-06-05
種々の新型うつ病についての並列的概観 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-15
種々の新型うつ病と病前性格についての導入 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-15-1
ディスチミアの説明 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-28-3 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-28-4
不安の病理と治療 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-19-4
認知療法的領域 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-19-3 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-25
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http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-28
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http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-28-2
食べ吐き http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-28-7
嗜癖 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-30-1
感覚の能動性と脱能動性 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-30-3
中心感覚と辺縁感覚 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2008-05-30-4
ハリネズミのたとえ http://shinagawa-lunch.blog.so-net.ne.jp/2010-12-03-7
アンビバレントの汎化 http://shinagawa-lunch.blog.so-net.ne.jp/2011-02-13-8
SMaPG式性格類型の提唱 http://shinagawa-lunch.blog.so-net.ne.jp/2010-11-25-14
この中の、
https://shinbashi-ssn.blog.ss-blog.jp/2008-05-04
ここから読み始めて、続きを読んでくれたらよいと思う。
という具合に寄り道しているので、なかなかうつ病の症状構造に行きつきません。
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追加
自我障害は哲学的ドイツ精神医学の中心の話題なのでいろいろと意見はある。若い人はあまり言わないと思うが、ベテランが思い付きを文章にしている。
自我障害を中核とする統合失調症が発生したのは、近代的自我が確立されたころからであって、それ以前の精神のあたり方としては、自意識は同一時間に一つではないし、時間軸に沿って一つでもないし、能動的なだけではないし、自我境界もあいまいであったというのです。昔々は先祖と、さらにさかのぼってその先に存在している神と、一体となって生きていた、この縦のつながりが強力で、何かを決定するときには神のお告げに従っていた。その点で自我障害と同じ状態が常にあったと思われる。また、共に生きている同胞との横のつながりを考えても、現在のように個人が別の考えをもって境界が明確というものでもなかっただろうという。また能動感が失われて、神に操られるというのはむしろ神聖でありがたいことだと考えられて、これも常態化していた。このように考えると、自我の同一性とか、自他の境界、能動性などを当然の前提と考える近代的自我のほうが特殊だということになる。そこで近代的自我の確立とともに自我障害が始まり、統合失調症が始まった。
こんな意見を言われても、どの時代のどんなことが証拠なのか不明確で、反論のしようもないし、する気もないけれども、言っている人も、ニュートンやアインシュタインのような確実なひらめきの気持ではなくて、原稿を頼まれたけど何も言いたいこともないし、少しきわどくいってみましたとかの感じだろうと思う。
ほかにも紹介すると、あるとき遺伝子の突然変異で、社会脳に異常が起こった。このタイプの変異が起こると統合失調症タイプに近い社会交流の不全が生じるが、一方で有利な点もあった。集団として、非凡な創造性や、因習を打破して新たな発展をもたらす才能を獲得した。こんな感じだが、どんな根拠なのか不明。
あるいは、言語の使用が始まったときに統合失調症が始まったとする説もある。右脳左脳の分化と統合を支配する遺伝子であるXq21.3の話。この遺伝子の働きで言語使用が始まり、大きなプラスとなったが、それに伴って、副産物として統合失調症が発生した。統合失調症は男性に多くて、発症年齢は男性のほうが若い。一方、男性のほうが左右脳の非対称が強い。女性のほうが左右の統合はうまくいっていて、だから源氏物語を女性が書けたとかの話になる。言語使用に適した脳になったら統合失調症も起こりやすくなったという説。これも飛躍があります。
最近は統合失調症の発病が少なくなっているのではないかとの意見があり、グラフを書くと、有史以来ずっと少なく、近代産業社会のころ、つまり、イギリスの産業革命の後から20世紀後半にピークに達し、そのあと、情報通信革命の後には少なくなっている、中央が高いグラフになる。これは産業の在り方の変化が人間存在の在り方を変え、統合失調症の頻度にも変化を引き起こしたものだろうという。大雑把な話である。
別の意見は、Spacing disorderという考えです。統合失調症は主に自己と他者との関係が問題だと考える。そして統合失調症の自我障害を含む概念としてSpacing disorderを考える。他者との距離、自分のパーソナル・スペース、そのあたりの調節障害です。そしてここからは想像ですが、ある集団があって、支配層に反発する人が一定数になると、このSpacing disorderを持つ人がリーダーになって、新しい小集団を作るという。Spacing disorderを持つ人は社会の本流には溶け込めず、いつも本流の外部にいるアウトサイダーですから、そのような場合には都合の良いポジションです。こういう時に役に立つので集団内の遺伝子として保存された、しかしそれは統合失調症を引き起こすこともあるというお話です。それならそれでそのうち原因遺伝子が明らかになるんでしょうか。
また別の意見は、所有にまつわるものです。古代においては神が人間を所有していた。考えるのも神である。人間は従う。近代になると人間が財産を所有し、場合によっては他人を財産とみなして所有する。女性は男性に所有され、その反動で、女性はヒステリーを起こすなど。子供は親に所有される。自分が自分を支配するという所有権が奪われることで統合失調症が発生する。そもそも自己が神の所有であれば自我障害は発生しない。すべては神のなすことであり、人間は従うだけである。
調べ始めるといっぱいあります。でもあまりいい思い付きではないと個人的には思います。しかし、こうした、文明の在り方とか社会の在り方との相関で統合失調症が発生するとの考えは一見して理解しやすいので話しやすいし、なにか現代文明批評みたいにもなるので便利なのかもしれません。精神病の軽症化をLyotardの大きな物語の退潮と関連付けたりすれば何となくよさそうに見えるわけです。
理系でなくても理解できるお話というわけです。やはり対象を厳密に測定して、数学で分析する、それが未来の姿です。
さらに追加。ここ3年続いているコロナ状況で、在宅勤務が増えています。コロナとは関係なく、不動産の有効活用ということでリモートワークにしているところもあります。営業さんも事務所は小さくして、職員は直行直帰でいいのではないかとなっています。NTTは通信会社で不動産たくさんですから、出社しなくても通信をうまく使えば大丈夫、そして不動産は積極活用、の手本を示している感じ。在宅は通勤が省略できるし、昼食は自炊できるし、自分のペースで仕事時間を考えればいいし、必要なら昼寝もできるし、合間に介護もできるし、保育もできるし、時間を作って雑用を済ませることもできるし、猫と一緒にいられるしというので良いことたくさん。でも、在宅でできる仕事は実は近いうちにAIに任せられるのではないかとの不安があります。
社員が実際に顔を合わせて無駄話もして雰囲気を共有しという中で醸成される何かがあるのではないでしょうか。ハイコンテクストの話。リモートワークでは済まない仕事をしている人が会社にとって重要な人ではないですか。
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日本うつ病学会は新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴う、自宅待機・在宅勤務等に対する日常生活の過ごし方を紹介していますので以下に示します。
日常生活を規則的に送るための自己管理術
自宅待機や在宅勤務であっても、自分自身で毎日決まって行う日課を設定しましょう。
そうすることで、あなたの体内時計は安定して働くようになります。
毎日、同じ時刻に起きましょう。
決まった時刻に起床することは、体内時計が安定して働くために最も大切です。
毎日、一定時間を屋外で過ごすようにしましょう(訳注: 密閉・密集・密接 の 3密の状況を避け、一人でいられる場所で)。
体内時計の時刻合わせには、 朝の光が欠かせません。
朝といっても、お昼近くよりは、午前中の早い時間帯が望ましいでしょう。
もし、あなたが外に出られないとしても、少なくとも2時間は窓際で過ごし、日の光を浴びながら、心の落ち着ける時間を持ちましょう。
在宅での仕事や学習、友人との電話、料理など、毎日行ういくつかの活動はやる時間を決めましょう。そして、毎日、同じ時間に行いましょう。
毎日、運動をしましょう。できれば、毎日、同じ時間帯で。
毎日、同じ時間に食事をしましょう。
食事の時間になっても、食べたくない時もあるかもしれませんが、それでも時間が来たら少量でも良いので何かを口にしましょう。
人との交流は、たとえ社会的距離確保の期間中であっても大切です。
リアルタイムに考えや気持ちを分かち合えるような人はいるでしょうか?
テレビ電話か音声通話かはどちらでも結構ですので、可能そうな方とコミュニケーションの機会を持つようにしましょう。
すぐに相手が思いつかなくとも、誰かいなかったかを思い出してみましょう。
LINE のような文章だけの会話であっても、リアルタイムにメッセージが行き交うものであれば大丈夫です。
そして、毎日、同じ時刻にそういった相手とコミュニケーションするスケジュールを持ちましょう。
日中の昼寝(特に、午後遅くの昼寝は)は避けましょう。
もし、どうしても昼寝が必要な方は最大でも 30分以内に抑えましょう。
昼寝は、夜の深い睡眠を妨げます。
夜間に明るい光(特にブルーライト)を浴びるのは避けましょう。
コンピューターやスマートフォンのディスプレイも含まれます。
ブルーライトは、睡眠に不可欠なホルモンを減らしてしまうことがわかっているからです。
自分自身に合った、起床と就寝の時間を決め、一貫してその睡眠リズムを保つようにしましょう。
もし、あなたが夜型ならば、たとえ家族の人より少し遅く寝て、少し遅く起きることになったとしても大丈夫です。毎日、同じ時間に床につき、同じ時間に起きることがポイントです。
以上11つのポイントが挙げられています。
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このように確認してみると、在宅で仕事をすることはかなりの危険があるなという印象です。
対人距離の問題にまつわることで考えると、在宅でも仕事がうまくできるということ自体、人と直接交わらなくても平気ということなのでしょうか。たとえば動物は臭いとかフェロモンとかで相手を認識しますし、自分の状態も確認するのではないでしょうか。画像と音は不十分ながら遠隔でも伝わるわけですが、五感を全部使っての動物的な感覚としては足りないのではないかと思います。対人距離が遠くても平気な人は、フェロモンなどの認識が薄いのかもしれません。そのことが対人状況での状況意味認識などに関係しているのかもしれません。
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ジル・ドルーズが昔、ノマド(遊牧民)などの言葉で、非中心的・非固定的・流動的・多様性などの特徴をもった存在の仕方をいろいろ言っていたように思います。現在ノマドワーカーと言えば、ノートパソコンを持っていれば、自宅でも会社でも図書館でも喫茶店でも公園でも海外でも、仕事できますという感じですね。その利点は人間関係が煩わしくないというんです。ズームでもチャットでもメールでも直接の接触なしで済ませられるので、付き合い方とか対人関係とか悩まないで済むと言われます。そうかな。そうなのかな。やっぱり物理的に一緒の場所で仕事をして同じ空気を吸っている場合に、群れる動物としての本能が生きるのではないか。
その点では統合失調症タイプの人は群れることを好まず、他人の声も体温もフェロモンも視線もいらず、ということなのかな。
他人の視線がくすぐったいような感じって大事でしょう。
(つづく)