下書き うつ病勉強会#161 内因性うつ病について

1 はじめに

かつて内因性精神病としてシゾフレニーとMDIが考えられていた。しかし現在、うつ病は、DSMの普及とともにその概念が拡散してしまった。うつ病の重症度による分類よりも、やはり心理的レベルのうつ病と身体的レベルのうつ病を積極的に区別するという二元論への回帰が話題になる。「内因性うつ病」は「メランコリア」という用語で英米圏でも論じられている。

その一方で双極性障害概念の拡大も進み、双極性障害から単極うつ病を経て気分変調症に至るまでのスペクトラム的構想も提唱されている。こちらは区別より連続性を重視する。確かに一時点でのエピソードは、神経症性うつ病、反応性うつ病、内因性うつ病と一応の区別は可能だとしても、長期経過を追うと、それぞれ重なりがあることも事実であり、連続していると考えるのが妥当だと思うこともある。当初は神経症性うつ病と診断されていた症例が、数年後に明らかな内因性のうつ病像を呈することがあり、さらに双極性障害に移行するケースもある。これはいったい何が起こっているのか。

うつ病の横断面だけ、つまり診察時に観察できる症状だけ、あるいは時間を停止させた輪切りをみると、特に軽症例では、内因、心因、神経症性、反応性について病態の区別も難しいことがある。

もう1つの代表的な内因性精神疾患であるシゾフレニーの急性期体験は正常心理から明確に区別されるが、うつ病の基本的な症状である抑うつ気分や意欲の低下はみかけ上、日常心理との連続性があるとの意見もある。どこまでが正常範囲の気分変動なのか、どこから明らかなうつ病なのか判断に苦しむ症例も稀ではない。シュナイダーやヤスパースの論によれば、内因性うつ病や双極性障害またシゾフレニーは「了解不能」で、健常・日常心理理学では了解できないとされている。しかし、了解可能性の幅を拡張して考える人たちもいて、このあたりもあいまいなまま問題が残されている。

了解可能性やプレコックス・ゲフュールは精神科医の精神内界がリトマス試験紙のように、あるいはガイガーカウンターのようになるという話であって、身体科の検査・診断方法とは全く異なる。しかし、このような精神科医の精神内界が患者の精神・身体と反応して何が起こるかを感じ取ることは非常に有用であって、必要不可欠ともいえる。患者が社会の中に位置したときに周囲にどのような反応が起こるのかを実際に測定できるので貴重なはずである。

非内因性のうつ病がDSM-5でいううつ病と過剰診断される一方で、軽い内因性うつ病が見逃されている現実もある。軽症内因性うつ病は薬物療法が奏効するので、この診分けは治療上重要である。それはそうなのだけれど、簡単ではない。簡単ではないのでいろいろな提案や議論がある。内因性うつ病を見逃さないための質問紙などが開発されているが広まってはいない。質問紙でわかるのかどうか微妙ではあるが、それならばどのようにして判断しているのかと言われれば、やはり質問紙に要約されるようなことを考えているのだろうか。遺伝歴、病前性格、これまでの症状の履歴などを参考にする。

以下では、内因性うつ病の概念形成の歴史を簡単に振り返った後で、その精神病理的な特徴を整理し、非定型うつ病との関連にも触れながら、最後に内因性の意義に関して述べる。

2 「内因性うつ病」の登場

「内因(endogen)」は、1893年にLeipzigの神経学者であったMoebiusが、生まれつきで治癒しない精神疾患に対して用いたのが最初である。内因とは内側から、有機体の中から生じるという意味で、体験とは関係なく発症するということである。ただ、遺伝的体質的要因が重要な役割を演じていると想定され、明らかな器質的原因は除かれていたものの、何らかの身体的な原因が存在することは要請されていた。

この用語は、セットされていた時刻に目覚ましが鳴ったかのごとく動機なしに発症し、環境の影響を受けずに固有の経過をとり、寛解しても反復するか悪化していくという、自律的な発症一経過モデルを前提としている。環境に影響を受ける、受けないの点は、例えば、抑うつ気分の時でも、なにかとてもいいことが怒ったら少しは気分が改善することであり、逆に、とてもうれしいはずのことが起こっても気分が改善しないことである。気分の非反応性が内因性うつ病・メランコリーの特徴であり、気分の非反応性がないことが非定型うつ病の特徴である。

うつ病に関しては、古代ギリシア以来のメランコリアということばがあるが、こちらは当時の体液学説を踏襲した用語で、身体的な病因が含意されていた。黒液質である。

今日うつ病と訳されることの多いdepressionについては、脳の血管のトーヌスの低下という意味で医学領域に登場した。このことばを、気分状態に対して最初に用いたのは19世紀初頭のHeinrothとされる。彼は器官病理学的に構想されたdepressionを心理学用語に転用したが、疾患概念としてではなく、悲しい打ちひしがれた気分変調という遍在的な症状に用いていた。当時、精神的苦痛という一定の状態ないしひとつの疾患を意味していたのは依然としてメランコリアだった。

このdepressionを疾患名として初めて使用したのは、コペンハーゲンの神経学者で病理学者でもあったLangeである。彼は、いつも涙もろく、意気消沈していて、仕事や決断ができずに、元気がない、生きる喜びがないと訴える外来患者たちを指してdepressionと呼んだ。彼らは社会的なつき合いを避け、しばしば「表現できない不安感」を訴えたが、後にメランコリアを発現させたものは、数百人中1人もいなかったという。

彼のいうメランコリアとは精神病性うつ病である。このようにLangeは、精神病性うつ病をmelancholia、非精神病性うつ病をdepressionと、言葉のうえで明確に区別した。しかし同時代の他の医師たちは、非精神病的形態もメランコリアの一型と考えていた。

Kraepelinに至って、1899年の教科書でdas manisch-depressive Irresein(躁うつ病、以下MDI)という概念が確立し、ここで初めてmelancholiaに替わってdepressionがmaniaと対になった。

KraepelinのMDIには、軽症から重症のうつ病や躁病だけでなく気質レベルの感情の偏りも含まれる。したがって、この概念は自主的な気分変動を繰り返す病態すべてを包摂したのであり、そこから除かれたのが心因性うつ病である。この病態は自律的ではなく、MDIとは異なり社会的状況の変化に反応する。MDIのうつ病が比較的軽ければ、健康な精神生活における動機のある気分変調に完全に似てくる。本質的な差異は、前者が動機なしに生じるということである。この種のケースでは、患者の病歴を知らずして、正しく症状を理解できない」と、横断的な症状のみでの診断を戒めている。

とはいえ、病像のみをみた場合には軽症の内因性うつ病と心因性うつ病の区別が難しいと指摘していることは注目してよい。Kraepelin以降、メランコリアはdepressionの一型として位置づけられたため、その同義語として内因性うつ病(endogene Depression)も使用されるようになった。

その後、心因性うつ病は、反応性うつ病や神経症性うつ病とも呼ばれるようになる。反応性はSchneiderが1920年に導入したもので、神経症性のほうは精神分析の影響を受けた用語である。その後、ドイツ語圏では内因性うつ病がその他のうつ病と異なることは自明と考えられ、日本でもDSM-IIIの登場以前までは同様であった。しかしながら、英米圏では内因性うつ病と非内因性うつ病の区別が当然視されていたわけではない。イギリスでは長期間にわたって一元論と二元論の論争があり、アメリカでは一貫して一元論が優勢だった。

3 内因性うつ病の本態をめぐって

Kraepelin以降のドイツ語圏では、内因性うつ病の中心病理をめぐって重要な研究が次々に行われた。内因性うつ病とその他のうつ病との病像の差異について詳述しているのが、Schneiderである。彼は感情を基底から感覚的感情、身体・生命感情(生気感情)、心的感情(自我感情)、精神的感情(人格感情)の4層に分けたSchelerの理論を参照して、内因性うつ病は生気感情のレベルの障害、反応性うつ病は心的感情のレベルの障害(悲哀、不安)と定式化した。

内因性うつ病では障害が心的感情にも及び、生気感情の変化によって心的感情の発現が修飾されたり抑制されたりする。生気感情の障害が重度になって心的感情がもはや現れなくなると、感情喪失の感情と呼ばれる。このレベルの障害は動機のない気分変調であり、外界からの影響を受けにくい。

このあたりはやはりDSMには受け入れられないだろうと思う。

Jaspersの了解と説明の2分法を踏襲したSchneiderにとって、反応性うつ病は了解的に意味連関の中に位置づけられるのに対し、内因性うつ病は生活発展の意味連続性、意味連関を中断する。内因性うつ病の気分変調は反応性うつ病や、正常ないし精神病質で観察される気分変調とは質的に異なる。

ただし、反応性のうつ病であっても、二次的に生気障害をきたし内因性のうつ病に移行する可能性はある。このように、内因性ないし循環性うつ病は一次的な生気感情の障害とみなされ、気分変調の生気的な性格すなわち生気的悲哀が強調された。

こうした内因性うつ病の感情面の変化を強調する立場に対して、Strausは制止を重視して、それは生物学的に基礎づけられると想定した。この制止によって内因性うつ病の時間体験が規定される。彼は客観的物理的な時間に対置する形で、体験内在時間(erlebnisimmanente Zeit)と体験早出時間(erlebnistranseunte Zeit)を仮定した。内因性うつ病においては、体験内在時間の停滞や停止が生じ、ひいては活動可能性の生気的制止が生じる。その結果、未来体験の変化にとどまらず、過去の構造変化、すなわち過去の意味の変化も生じる。このように、Strausは内因性うつ病における時間体験やその障害の基礎を生物学的なものに見定め、体験内在時間の鬱滞は生気的な制止の直接の結果であるとする。

von GebsattelもStraus同様、内因性うつ病の生物学的基礎として制止を想定する。同障害において基本的なのは生成衝迫(Werdedrang)の制止であり、そこから思考制止、意志・感情制止、妄想、強迫が導出される。生成の制止は同時に、実存可能性(Existieren-Koemem)の制止であり、制止の実存的意味は「空虚における実存」である。それは非現実感や離人として現れ、気分変調、不安、心気、罪責感、微小観念の基底にも存在する。結局彼にとって、うつ病の本態は生成不可能性であり不能性(Nicht-Koennenn)である。

 Binswangerも内因性うつ病における時間構造の基本的変化を論じ、主観的時間意識において、志向的な時間的「対象」である過去、現在、未来がいかに構成されるかを問題にする。Strausと異なり、 Binswangerは時熟障害を生物学的あるいは生気的な制止から導出することを拒否し、時間的な対象性の構成、すなわち志向性の領域における変化を重視する。

内因性を積極的に規定したのはTellenbachである。彼は「内因」(Endon)を身体と精神の分離に先行して存在する領域に位置づけた。共同世界とこの内因とが交差する地点で、発症に特異的な状況が構成されて、メランコリーへの内因的な現存在変化が誘発される。この状況因を自ら招き寄せるのがメランコリー型である。

メランコリー型の人は勤勉であり、良心的で、義務を意識し、作業において正確であるうえに、自分自身の作業に平均以上の高い要求を課している。メランコリー型にとって病態発生的意義をもつ状況は、インクルデンツ(封入性)とレマネンツ(負い目性)の前メランコリー的布置であり、それぞれ秩序結合性と高い自己要求という人格特徴に対応する。インクルデンツの布置はメランコリー型の秩序結合性と噛み合って、限界への閉じ込めを意味する。同様にレマネンツの布置とは、自分自身の作業への高い要求と関連していて、自分自身の要求の背後に取り残されていくことである。2つの状況が極端に先鋭化して、メランコリー親和型が自己矛盾に捉われ出口がなくなると、ここからエンドンが変化してメランコリーが生じる。この状況の乗り越え不能性から、生命の流れの停滞、制止、生成・時熟障害が生じる。このようにTellenbachの業績は、内因を身体と精神の分離に先立つ領域に設定しただけでなく、自生的に発症するとされていた内因性うつ病において、発病状況とそれを構成する人格類型を導き出した点にある。

Fuchsは身体的な観点からうつ病を論じている。その際内因性うつ病そのものが現象学的に「身体の物体化」であるとみなされる。生命的な運動の中心的源泉としての欲動が収縮し身体は硬く狭くなる。内因性うつ病とはいわば、身体性の「鬱滞」、身体が狭く硬化することなのである。欲動の収縮は個々の身体部位に集中して胸部絞扼感や球感、頭重として具体化することもあれば、身体的狭さの一般化を反映した禰漫性の不安としても表現される。局所的あるいは全般化した圧迫は、運動的で流動的な身体を鈍重な肉体にするために、あらゆる拡張的な方向性が妨げられてしまう。身体は重く阻害するものとして、自らの前に立ちはだかり苦痛を与える妨害物として現われる。うつ病者はこの物体化した身体から逃れることができない。以上をまとめると、内因性うつ病では身体レベルでの感情の障害が生じて、気分が抑え込まれ、外界の出来事への反応性も低下する。また、制止によって時間体験が障害され、すべてが決定され変更不能なものとなってしまう。空間的にも自己に閉じ込められ、身体は流動性を失い重い物体として立ちはだかることになる。これは典型的な制止優位の内因性うつ病であるが、今日問題になる軽症型や不安・焦燥の強いタイプに関しては、別の説明が必要である。

4 構造力動論からみた内因性うつ病の病像 

Janzarikの構造力動論に基づいて内因性うつ病のさまざまな病像を解説しているKickの論考を参考にしたい。それによると、うつ病の基本的な力動布置は収縮(Restriktion)と規定される。これは力動、すなわち感情と欲動の発現が制限されているということを意味し、気分の反応性の低下や意欲の低下として現れる。すなわち、感情喪失感という形で力動の発現がブロックされ、身体体験の変化、身体近接的な圧迫や不安、自己無価値感、離人体験、接触回避などが生じる。こうしたあらゆる価値領域が顕勢化されないことを反映する症状は、制止優位のうつ病像に共通して観察される。

この収縮は時間経過とともに自然に、あるいは抗うつ薬の刺激によって弛緩する。それに伴い、感情備給を受けて体験野が拡大するが、内的時間が停滞し、未来に向けた思考が悲観的にとどまっていれば、一部弛緩した力動は不安定化し、偽神経症的不安や焦燥性うつ病といった病像をとる。前者については先取り的な不安、後者については、心気症的不安、不全ないし罪責体験、外的所与からの脅威感を内容とする不安、あるいはテーマのない漠然とした浮動性の不安が、発作性ないし持続性に出現する。

さらに、諸表象への感情備給が抑制され、本人の作業能力が不十分な一方で、一部解放された心的力動が、判断審級(超自我・自我理想)に過剰負荷されると、心内緊張が高まる。判断審級によって自我が責められることで、抑うつはさらに深まる。力動の圧力がある範囲を超えると、そこから生じる緊張の増大がしばしば、メランコリー妄想の構築につながる。

このようにみると、うつ病の症状はその本態である力動の収縮に直接由来する症状と、その部分的な弛緩に伴う主体の反応としての症状に大きく分けられることになる。前者があらゆる内因性うつ病にある程度共通の症状であるのに対し、後者は主体側の条件すなわち患者の人格構造や病期によって変化する症状である。その結果、制止うつ病や不安・焦燥性うつ病、妄想性うつ病、仮面うつ病などのバリエーションが生まれる。

5 内因性うつ病の症状構成

上記のような精神病理学的研究とは別に、症状の次元で内因性うつ病を区別しようという試みもある。かつてEbertは、 DSM-III-Rで特定不能のうつ病性障害(Depressive Disorder Not OtherWise Specfied)(ストレスと関係なく発症したうつ病性のエピソードで、大うつ病エピソードの診断基準を満たさないもの)と診断された症例から、後に典型的な躁病や内因性うつ病を呈したものを選び出し、内因性うつ病の中核症状(Kernsymptom)を明らかにした。それは、

1欲動や思考の制止現象、

2病気だという主観的確信と疎隔体験

3日内変動、

4植物症状(睡眠障害、食欲の低下や充進)

である。

まず1では、主観的な制止の体験が重視され、意図した行動や持続的な目的志向活動ができないことが含まれる。つまり、活動を開始しようとしたときに体験される内的な抵抗で、1つの行動に多大な努力を要し行動が遅延していると感じられるものである。この点で単なる欲動の低下とは異なる。「やろうとしても体がついていかない」、「食事の支度をしょうとしても、メニューが浮かんでこない」などと訴えられる。制止は内的な時間体験の直立につながる。この体験における典型的な発言は、「……になってしまった」、あるいは「……になってしまっているだろう」と完了形ないし未来完了形で表現される。しかも通常は、負の方向に誇大化した否定的な内容であり、うつ病性の妄想において典型的にみられる。したがって、抑うつ症状全体が軽くても、こうした発言を持続的に繰り返している場合は、内因性病像を疑わせる。

制止はエネルギー低下かブレーキかを考えた。一見するとブレーキが正しいように思う。しかし、エネルギーが低下すれば、軽いブレーキでも効いてしまうわけだ。つまり、駆動力と抑止力の比較になる。だから、エネルギー低下とブレーキは分けて考えられないように思う。

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*ただし、うつ病の植物症状は同一のエピソード中でも変化する。

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また、身体に関する表現も内因性を指し示すことがある。上述したように、端的には身体の重さの自覚であり、部分的に表現される頭や身体の重苦しさである。制止の強い病相では、単調な表現であるが、不安・焦燥の強い病相では部位が固定せず、さまざまな表現をとることがある。いずれにしても、身体が自分の力ではどうにもならない物体として立ち現われるため、患者の苦悩の重圧は高い。

次に2に関しても、力動の収縮が背景にあると、外界や身体、自己にエネルギーが備給されずに生き生きとした実感が失われ、疎隔感離人感が生じる。さらには、いつもの自分とは違う、何らかの病気ではないかという身体の違和感につながる。

力動の収縮は日内変動を示すことがある。例えば、制止の極に至る前後では外界からの影響はあまり受けずに気分や身体の重苦しさが動揺する。こうした主体の関与しないところでの身体リズムの変動も特徴的な現象といえる。

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表1メランコリー性の特徴(DSM-IV)

A 現在のエピソードの最も重症の期間に、以下のどちらかが起こる。

(1)すべての、またはほとんどすべての活動における喜びの消失

(2)普段快適である刺激に対する反応の消失

B 以下のうち3つ(またはそれ以上):

(1)はっきり他と区別できる性質の抑うつ気分

(2)謡うつは決まって朝に悪化する

(3)早朝覚醒(通常の起床時間より少なくとも2時間早い)

(4)著しい精神運動制止または焦燥

(5)明らかな食欲不振または体重減少

(6)過度または不適切な罪責感

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食欲や睡眠に関しては、典型的には欲動の制限に規定されて食欲不振や不眠が出現する。その一方で、過眠はエネルギーの低下やその補充を意味し、躁病であれうつ病であれ、興奮を孕んだ病期の揺り戻しとして現れることが多い。過食に関しては、うつに対する対処行動の意味と、躁病にみられる欲動の聖断と等価とみられる場合がある。したがって、過食は躁的な要素を含んでいる面もあり、双極性うつ病と過食が合併するのは偶然ではない(図1)。

ところで、内因性うつ病の中核現象がエネルギーの低下にではなく、その渋滞に本質があるとすれば、これに抗する力も当然存在する。この反発力もうつ病の病像形成に関与している。その一例が力動の収縮が一部解除されることによる不安・焦燥の出現であり、妄想の産出性である。また、日内変動のように上向きのベクトルは絶えず存在する。これらを躁的因子とみれば、かつて宮本が指摘したように、広義の混合状態こそが内因性うつ病を含めた躁うつ病の基本体制をなすともいえる。

DSM-Ⅳでもメランコリー型の特徴(表1)が示されているが、上記の臨床特徴がある程度反映されている。最近英米圏でも、メランコリア、すなわち内因性うつ病をその他のうつ状態から区別しようという動きがある。

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表2 非定型の特徴(DSM-IV)

A 気分の反応性

B 次の特徴のうち2つ(またはそれ以上)

(1)著明な体重増加または食欲の増加

(2)過眠

(3)鉛様の麻痺

(4)長期間にわたる、対人関係の拒絶に敏感であるという様式(気分障害のエピソードの間だけに限定されるものではない)で、著しい社会的または職業的障害を引き起こしている。

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その代表者であるオーストラリアのParkerらはメランコリー型の特徴を伴ううつ病の特徴を以下のよ

うにまとめている。

1ストレスに不釣り合いな感情の障害:絶え間のない不安や病的な発言、情動的反応の鈍化、気分の無反応性、広汎なアンヘドニアは環境が改善しても自律的に持続する。

2精神運動障害:制止(思考や運動、談話の遅延や精力低下(anergia))ないし、自生的な焦燥(運動不穏や常同運動、常同言語)として現れる。

3認知障害:集中力低下や作業記憶の低下、

4植物機能の変化:中途覚醒、食欲や体重低下、リビードの低下。日内変動:気分とエネルギーは一般に朝に悪化する。

5精神病性の症状:しばしば存在し、絶望や罪責、罪、破滅ないし病気といった虚無的な確信はよくみられる精神病的なテーマである。

いずれも重視されるのは、やはり制止現象、気分の無反応性、日内変動、植物症状である。

6 非定型うつ病と内因性うつ病

1960年代に入ると、英米圏でも内因性うつ病と非内因性うつ病を区別しようという新たな試みが生まれる。1969年にKleinとDavisは、当時普及が始まった三環系抗うつ薬やECTへの反応性を重視して、重篤なうつ病と比較的軽い不機嫌(dysphoria)を分けた。前者は快楽を経験する能力の低下なのに対し、後者は比較的軽い括弧つきの「抑うつ(depression)」であり、実際にはうつ病とみなされなかった。重篤なうつ病は、さらに制止型と焦燥型に分類された。不機嫌のほうは、さらに反応性うつ病と神経症性うつ病、類ヒステリー性不機嫌(hysteroid dysphoria)に分けられた。彼らはこの類ヒステリー性不機嫌のうちで、軽症で慢性経過をとりMAOIに反応するグループをみつけ出し、これがのちの非定型うつ病の概念に結実した。

当初、拒絶過敏性が基本特徴とされたが、後に気分の反応性が重視された。このColumbiaグループの非定型うつ病概念が、1994年のDSM-IVにも「非定型の特徴」として採用された(表2)。

基本的な症状を気分の反応性に置くか、拒絶過敏症に注目するか、逆転した植物症状や鉛管の麻痺を重視するかで、少しずつ異なる病態を扱う可能性がある。内因性との関連でいえば、軽症で気分の反応性があり、若年発症で慢性持続性の経過をとる非定型うつ病は、気分の無反応性とエピソード的な経過を特徴とし中年期に多い古典的な内因性うつ病とは対照的である。ところが、逆転した植物症状に注目すると、非定型うつ病は内因性の病態に接近してくる。すなわち、双極性障害のうつ状態では逆転した植物症状をとるものが少なくないし、軽い制止はあるものの気分の反応性がある程度保たれているのである。Akiskalらは、非定型うつ病を双極II型のバリアントとさえみなしている。

植物症状に関しては前節でも触れたが、Parkerらは、拒絶への過敏性をもった人たちが抑うつ感情に対して自らを慰撫する戦略として、過眠や過食をもって反応すると述べている。一般にも心の空虚を食物で満たし、睡眠に逃避するという対抑うつ行動は神経症レベルの患者でよくみられる。

これに対して、冬季うつ病が好例だが、より生命的なリズムで躁とうつを繰り返す症例では、うつ病相では決まって過眠、過食である。また、不眠、食欲低下が主病像のうつ病でも、回復期には一過性に過眠・過食の時期が認められることがある。このように植物症状をみる限りでは、現在のDSM-IVの非定型の特徴に関する操作的な基準は、本質の全く異なった病態群を含んでいることになる。

これに関連して、最近のAngstらの研究は興味深い。彼らがうつ病の長期経過を観察したところ、メランコリー型のほぼ半数のケースは経過中に非定型の病像を呈していたという。また、メランコリー型と非定型のうつ病は、制止や焦燥を除けば、他の臨床特徴では変わらなかったと述べている。すなわち、抑うつ症状や自己評価、生活の質、合併症や、気質、社会人口学的特徴や経過などの点で差はなく、重症度の違いだったと報告している。結局、メランコリー型、非定型の合併が最も重症で、純粋メランコリー型、純粋非定型、特定不能の大うつ病の順に重症度が軽くなると結んでいる。この研究に関しても、Colombia大学グループによって報告された非定型うつ病とはかなり異なる病態が扱われているのではないかという疑問がわく。

いずれにしても、過眠、過食型のうつ病は症状としては従来の典型的な内因性うつ病像ではないが、躁病相と対になって出現する限りでは内因性とみなせるであろう。

7 今日のうつ病 おける内因性の意義

今日でも典型的な内因性うつ病は一定数存在し、必ずしも減少しているわけではない。問題になっているのは、内因性うつ病と非内因性うつ病の境界であり、最近は従来のイメージに合わないうつ病が増加しているとも指摘される。その中には明らかに内因性すなわち身体的レベルの病像をとるものもあれば、性格レベル、心理的レベルのうつ零下もある。この病態の差異は表面上の重症度とは必ずしも相関しない。軽症の内因性うつ病もあれば、重症の性格因性うつ病もある。その鑑別点は、やはり内因性すなわち身体性の兆候ということになる。制止や離人感、気分の無反応や症状の自律性、日内変動、早朝覚醒、食欲不振、身体の重さなどである。

とはいえ、横断面では症候論的に区別できても、長期経過をみると内因性病理一非内因性病像相互の移行が観察されるし、同じうつ病エピソードの中でも、内因性病像の顕著な時期と本人の性格的な要因が前景に出たり、環境に大きな影響を受けたりする時期がある。すなわち、発生期や回復期をみれば、気分の反応性は認められるし、生活史や病前性格、家族状況が病像に反映されるのである。治療的にも内因性の部分には抗うつ薬やECTが有効であるが、心理的なレベルの症状にはむしろ精神療法や環境調整が有効といえる。このように、内因性の徴候を的確に見分けることは、治療方針を立てるうえで大変重要である。

また、内因性うつ病の経過的な特徴として、エピソードの自生性や反復性も重視されてきたが、内因性だからといって、必ずしも最初から環境と無関係に発症するわけではない。当初は発病状況が認められたうつ病者が、しだいに些細な身体的心理的ストレスで再発したり、あるいは症状発現の自生性を獲得したりする。特に一旦、(軽)躁エピソードが出現すると反復性、自生性が顕著になることが多い。すなわち、躁とうつの双極振動が始まるのであり、このリズム性こそ内因性の端的な発現ともいえる。

最後に内因性概念に立ち戻ると、これは外からの影響なしに内から生じるという原義からすれば、すでに現在の知見に合わない用語である。遺伝子の発現も環境によって大きく左右されるからである。したがって今後、内因性という用語は、歴史的な用語としては残るにしても、実用上は消えていく運命にあることは間違いない。とはいえ、上述したように、内因性うつ病の病像のほうは臨床単位として今日でも存在するはずで、治療上これを区別することは不可欠である。現在でもメランコリー型の特徴は何かについて、また、身体性症候群という呼び名がよいのか、など検討を要する。

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